GOKOTI YUIGAHAMAのオーナーをしております、佐藤(夫)です。
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鎌倉を中心に参道にフォーカスして神社仏閣の魅力をお伝えします。ときどき柴犬店長のゴローさんも登場します
▲ゴロー店長とのひなたぼっこで日々の元気をチャージ。筆者近影

 

 突然ですが僕は参道が好きです。そうです、神社や寺院に参詣するために通るあの道が大好きなのです。
本殿や本堂にむかってスゥーっと伸びる潔さがたまらなく好みで、子供の頃から生まれ育った東京の多摩地区の神社仏閣を自転車で巡る、なかなかに渋い子供でした。

 

▲幼少期すぎる筆者

 

鎌倉に暮らして14年目。参道好きの人間にとってこれほどありがたい街はなかなかありません。このコラムは鎌倉を中心に参道の魅力を熱くお伝えする− という誰に喜んでいただけるか非常に曖昧な読みものですが、これもまたこの街の魅力と思って読んでいただけたら幸いです。



両親のケンカをきっかけに、参道に魅せられる。

僕が参道に惹かれるきっかけは、小学校低学年の時に母とふたりで行った京都旅行でした。

京都の自社仏閣イメージ
▲京都 嵐山の鹿王院。こちらの参道もたいへん美しいのでいつかご紹介します

 

余談ですが、僕の母は大変気が強く父と大きなケンカをするたびに、僕を連れてプチ家出をしていました。
彼女は東京の美術大学を卒業後、‟のれん”のデザインなどを手がけるテキスタイルデザイナーとして働いていたこともあり、日本の古き良きものを愛でるのが趣味。だから家出の先も歌舞伎の観劇だったり、お能であったり、お花の展覧会だったりと、およそ5、6歳の男の子には苦痛ともいえるセレクトだったのですが、まぁそれで母の気が済むならいいか、、と子供ながらに気を遣ってついて回っていました。
そんなプチ家出がエスカレートして出かけたのが、母子2人の”京都初冬の旅”だったのです。

▲幼い僕を連れ回してくれた母と。疲れた自分の表情と楽しそうな母の顔…

 

旅の始まりは唐突でした。


その日の夜に勃発したケンカのいきおいそのままに母に手を引かれて家を飛び出したので、僕自身はかなり眠かったことと、明日の学校はどうするのかな? と心配をしながらタクシーで東京駅に向かったのをうっすらと覚えています。
当時はブルートレインという寝台車が全国を走っていたのですが、東京から西に向かう「富士」という電車に飛び乗り、なんだか機嫌が悪い母の横顔を眺めながら「いやいや、さすがにどこ行くねん、、」という不安と寒さでなかなか寝つけませんでした。あれは怖かったなー。

▲月見窓。なんて風流なしつらえでしょう。京都の寺院にて

 

さすがに話を戻します。そう、参道です。

初めての京都はとにかく寒かった。到着が朝方だったこともありキーンと澄んだ空気のなか、とぼとぼと母の後ろをついて歩きました。
母にはどうやら目的の地があったようで、それが京都市内の北にある「大徳寺 高桐院」というお寺でした。

 

細い石畳と空をおおう枝葉。
対象と非対称の計算され尽くした日本的美しさ。

高桐院(こうとういん)は、1602年(慶長7年)に茶人としても知られる戦国武将・細川忠興(三斎)によって創建されました。
忠興は千利休の重要な弟子の一人に数えられ、高桐院の一部は利休邸を移築したものとも伝えられています。そしてこの高桐院の参道こそが、僕の参道フェチに火をつけたきっかけとなりました。

▲高桐院の参道。樹木のトンネルの先に極楽の光を演出するような美しさ

 

まっすぐに伸びる自然石の参道は、その幅の狭さから実際よりもずっと遠くまで伸びているようでした。そしてその先には美しい高桐院の門が何か意思を持った番人のようにこちらを見つめています。
左右対称に設計された人工物と、樹木の非対称さのバランス、木漏れ日の見え方や木々が生み出す静寂さまで見事に計算されている様が、不思議と僕の幼心をドキドキさせてくれたのでした。

近年は紅葉の名所として特に人気の高桐院ですが、今となっては最初の参道体験がこのお寺であったことが、自分自身の趣味思考や美的センスなどに大きな影響を与えたことは間違いありません。そして、この京都旅行から子供ながらに神社仏閣、特に ‟参道” にハマることになるのでした。

▲京都の紅葉。今年は心置きなく観に行けるといいのですが

 

ちなみにこの京都の高桐院には、細川忠興の妻である‟細川ガラシャ”と歌舞伎の創始者で女性だったと言われる‟出雲の阿国”の墓があります。
歴史に少し詳しい方であれば、このふたりの気性はよくご存知なのではないでしょうか? 父に腹を立てた母がこの地を訪れたのも今となってはなんとなく理解できそうです。

 

【次回の参道散歩 Sun Doは?】

鎌倉を代表する参道といえばここ!?
扇ヶ谷にある寿福寺さんの参道をご紹介します。

佐藤岳彦 Sato Takehiko
東京に生まれ育ち、20代で湘南移住、30歳を前に鎌倉へ。リクルートメディアコミュニケーションズにて広告制作、ソリューション開発に携わった後、独立。現在は、ウェディングやホテルを中心に企業やサービスのブランディングを手がける。江戸時代からつづく陶器の産地・笠間にルーツをもち、器に目がない。趣味のサーフィンと、柴犬を愛でる時間が至福のとき。

 

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